お知らせ

第二回ミステリーツアー(ご報告)
2019.09.28開催


「旅のプランナー」河合さんより橘樹神社内で古事記と日本書紀の比較を説明

今回は子母口貝塚を出発し、足元に散乱している貝を手に取りながら橘樹神社へ。日本武尊が東征の折に海が荒れ、妃の弟橘媛が身を投じ海神の怒りを鎮めたと伝えられています。境内には山岡鉄舟の刻字の石碑も有り、少し進むと、晴れた日に富士山が見えます。
弟橘媛の「御陵」と伝えられている富士見台古墳で一休み。急坂を進むと、中原街道の蟻山坂に出会います。古代から中世にかけては奥州道ではないかと言われています。「相州道」とも呼ばれ、1590年、後北条が滅び徳川家康が江戸へ入場する際には、平塚市の中原を通る「中原街道」を利用した様です。川崎市中原区の語源はそこから来たものです。江戸時代には難所と呼ばれたところで、道幅が狭く急な上り坂となる「蟻山坂(ありやまざか)」は、江戸方面から集めてきた下肥(しもごえ=人間の糞尿)を大八車に乗せて坂道を登りますが、当時は舗装もしていないので道路に下肥をこぼしな がら、蟻が行列するように登っていったのでしょう。中原街道を「こやし街道」といった 意味が良くわかります。

たちばな古代の丘緑地を右手に見ながら影向寺に向かうと、境内の大銀杏(いちょう)が目に入ります。この乳柱を削って飲むと乳の出が良くなると伝えられ、川崎の昔話に記載されています。この大銀杏は人が手を繋ぐのには、6~7人が必要です。

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