お知らせ

(ご報告)第2回 日吉台地下壕の見学会  川崎支部長 山岸一雄

2024年年05 ⽉26 ⽇(⼟)に慶応⼤学内 ⽇吉台地下壕(横浜市港北区)の見学会が、無事に終了しました。男⼥9 名が参加(役員以外の⼀般会員は7 名)。緑土会や修士2年生(総合理工学研究科)の家族を含め、中身が濃い見学会でした。写真右端は山岸支部長。

戦艦⼤和の発信を指令した連合艦隊司令部跡を訪れました。ご案内は「⽇吉台地下壕保存の会」(発⾜して35 年間)です。戦争のむごさと、陸・海・空軍の縄張り争いとエゴのむき出しが分かります。
〇地下壕が掘られたのは1944 年(昭和19 年)9 ⽉〜11 ⽉末のわずか3 か⽉でコンクリー
ト製の地下壕を2.6km も完成させたのです。丹那トンネル(⼤量湧⽔による事故を乗り
越え、本⼯事で多⽤された「⽔抜き坑」を編み出した)の施⼯会社(鉄道⼯業㈱等)。
〇地下壕の作戦室は4mx20mx3mH。地下壕は蛍光灯を使⽤した最先端の施設で、停電時はバッテリー室からの電⼒を受けています。終戦時の司令部は、約1,000 名になりました。
〇地下壕掘削に当たり、近隣の住宅は有無を⾔わせないで500m程住宅の移動をさせられ、掘削⼟は⽥畑に積上げられ、⽣活の糧を奪われました。
〇地下壕に⼊ると温度は17℃〜18℃に管理され、各所に⽴てられた竪坑からの⾃然⾵で換
気しています。地下壕の各所には⽩い⽷が40cm ほど吊るされて、通⾵(1m/秒)が確認
出来ます。
〇戦艦⼤和は⻑距離砲での主攻撃で作られましたが、⼀億総攻撃・⽟砕の命令で出撃しました。その時の出撃命令を発信したのが、⽇吉台地下壕です。
〇⽶軍に電波の傍受防⽌で、⽇吉台地下壕は受信のみで、送信は電話回線で伝令を読み上げ、⼤船の送信所や川崎市⾼津区蟹ヶ⾕の「海軍東京通信隊蟹ヶ⾕分遣隊(ぶんけんたい)」から発信しました。
短波通信なので、地球の裏側までの双発信が出来ます。特攻隊のモールス信号での⻑信号(ツーの連続⾳)が途切れた瞬間が、海の藻屑となったか体当たりした瞬間です。
〇太平洋戦争での戦死者は約310 万⼈、終戦年の1945 年の8 ヶ⽉間での戦死者は約200 万
。国⺠総動員の名のもとに、「陸・海・空軍の縄張り争いとエゴのむき出し」により、
紙屑の様に亡くなりました。慶応⼤学構内の欅等の樹⽊は⽶軍の空襲で裂かれ、今でもそ
の様⼦が⾒えます。
⽇吉⼀帯への空襲は3 度、1945 年4 ⽉4〜5 ⽇、15〜16 ⽇、5 ⽉24 ⽇です。⽇吉は京浜
⼯業地帯から離れれた学⽣の街なので、⽶軍が連合艦隊司令部をはじめとした重要海軍
群と認識しての破壊⾏為とは⾔い切れない様です。理由は、投下された爆弾は焼夷弾が中
⼼で、地下施設の破壊を⽬的の空襲ではないのです。今後、⽶軍の⽂書や写真資料での検
証が必要です。

詳しくはこちらへ。川崎支部行事報告書(2024年度 第2回日吉台地下壕見学会 20240525開催)(川崎支部長山岸)20240526.pdf

お問合せ・連絡先:川崎支部 幹事長 松本浩一

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